長崎について思っていること、抱くイメージ等を書き綴っていく日記です。

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Posted by のらんば長崎運営事務局 at

2017年04月19日

「漢委奴国王」印は江戸期の贋作?

江戸の天明期に百姓によって発見された「漢委奴国王」印は、
国威昂揚の必要性から明治期に【国宝】に指定されました。

しかし、天明期には歴史上の偽物が作られていたこともあって
偽作説があるのは周知の事実です。

志賀島発見の金印が偽作と考えられる最大の理由は
「国」があることです。

古代中国の王朝は、中国だけが国で、
他の国はすべて王朝に服属する臣下に
一時的に支配を委任しているものとみなしていました。

江戸期の藩と同じだと思っていいですね。

あなたは「朝貢貿易」という言葉を、学校の歴史で
勉強しましたよね。

「朝貢」とは、家臣が主君のところへ貢物を持ってご機嫌伺いに
行くことです。

これに対して主君は挨拶に来た褒美として多くの品物を家来に
下賜します。

これ、貿易と呼ぶのはおかしいと思いませんか?
こういう変な日本語が歴史教科書にはいくつか載っています。

「朝貢」も江戸期の幕藩体制に照らしてみれば、
参勤交代に似ているといって過言ではないように思います。

以上の点で、漢が「国」の字の入った金印など
「奴国王」に下賜することはありえません。

従って、正しい印は「漢委奴王」か「委奴王」であるはずです。

『三国志』東夷伝巻三十・倭人の条(「魏志倭人伝」)
に記述されている「親魏倭王」がその傍証です。

沖ノ島あたりから「親魏倭国王」の金印が出てくると、
ジョークとして笑えるかもしれませんね。

  


Posted by 山ちゃん at 02:00Comments(0)「漢委奴国王」印は贋作?